Category :
旅の追憶
tag :
tag :
VIPツアー東京さんぽ編も残り2話となります。
もう少々お付き合いください・・・

旧市兵衛河岸
河岸(かし)とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場(ものあげば)などの施設のこと。この河岸は、明治8年から昭和8年まで現在の後楽園遊園地一帯にあった”砲兵工廠”の荷揚場(にあげば)としてにぎわったという。

飯田橋から小石川橋までの間の、神田川沿いは遊歩道になっている。

小石川後楽園
私が大学時代は既に東京ドームが出来ていたのだが、それ以前は後楽園球場。ここに名前の由来があるのだろう。
ドームのすぐ隣にあるのに初めて足を踏み入れる・・・
東京の真ん中とは思えない緑豊かな公園である。
江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園。中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられた。

稲田
農民の苦労 を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃で、現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしている。

不老水
どんな旱魃にも水が涸れることがなく、どんな洪水にもあふれ出ることがなかったという。

円月橋
光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられた。
尚、今は渡ることができない・・・

西湖の堤
中国の杭州(現在の浙江省)の西湖の堤に見立てたもの。

大堰川
この庭園で川の景色を代表する場所。その名は、京都嵐山の下を流れる大堰川にちなんでおり、昔は神田上水から水車で水を汲みあげて流していたとのこと。
この小石川後楽園、国の特別史跡・特別名勝に指定されており、重複指定を受けているのはごく限られているのだとか・・・
この度の東京さんぽ。
都内の緑に触れることの多かったさんぽとなった。
ビルが立ち並ぶ都会だからこそ、こういった緑を大切にしているのであろう。こういった部分も感じられたイイ朝の東京さんぽでありました。
つづく・・・
皆さんのクリックがランキングの鍵! ↓ こちらをポチっと
かる~い気持ちでクリック!!!

にほんブログ村
こっちも始めてみました
↓ ポチっとクリック!

山形県 ブログランキングへ
もう少々お付き合いください・・・

旧市兵衛河岸
河岸(かし)とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場(ものあげば)などの施設のこと。この河岸は、明治8年から昭和8年まで現在の後楽園遊園地一帯にあった”砲兵工廠”の荷揚場(にあげば)としてにぎわったという。

飯田橋から小石川橋までの間の、神田川沿いは遊歩道になっている。

小石川後楽園
私が大学時代は既に東京ドームが出来ていたのだが、それ以前は後楽園球場。ここに名前の由来があるのだろう。
ドームのすぐ隣にあるのに初めて足を踏み入れる・・・
東京の真ん中とは思えない緑豊かな公園である。
江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園。中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられた。

稲田
農民の苦労 を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃で、現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしている。

不老水
どんな旱魃にも水が涸れることがなく、どんな洪水にもあふれ出ることがなかったという。

円月橋
光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられた。
尚、今は渡ることができない・・・

西湖の堤
中国の杭州(現在の浙江省)の西湖の堤に見立てたもの。

大堰川
この庭園で川の景色を代表する場所。その名は、京都嵐山の下を流れる大堰川にちなんでおり、昔は神田上水から水車で水を汲みあげて流していたとのこと。
この小石川後楽園、国の特別史跡・特別名勝に指定されており、重複指定を受けているのはごく限られているのだとか・・・
この度の東京さんぽ。
都内の緑に触れることの多かったさんぽとなった。
ビルが立ち並ぶ都会だからこそ、こういった緑を大切にしているのであろう。こういった部分も感じられたイイ朝の東京さんぽでありました。
つづく・・・
皆さんのクリックがランキングの鍵! ↓ こちらをポチっと
かる~い気持ちでクリック!!!

にほんブログ村
こっちも始めてみました
↓ ポチっとクリック!

山形県 ブログランキングへ